ですが、どんな場合にも絶対にそれが正しい・当てはまる、とは言えないであろうことに関しては、極力「一般には」「通常は」「原則として」「~の可能性がある」「~と考えられている」といった感じの表現を用い、「言い切る」ことはしていません。
過日、「一般には、そのように言われている」という事柄に対して疑問を抱かれたかたからの質問メールをいただきました。
それに対し、私は学んできたことに基づいた返信、つまり「~については~と言われています」を繰り返したのですが、質問者さんの言われることが私にはわかりにくく、私が答えたことが質問者さんにうまく伝わらず、どうにも歯車の噛み合わないやり取りが続き、最終的に「私では、これ以上の説明はできません」ということで、終わってしまいました。
お役に立てなかったことは申し訳ないのですが、既製の論に異を唱える人と、既製の論を唱える人とでは、噛み合わないのも仕方ないのかなと思ったりもしています。
やりとりの最後に、こんなご意見をいただきました。
「これはどんなことにも言えると思いますが、誰にでも強く信じていることが間違っていることがあります。
それはどんなにその分野で長けていても起こりうることです。
話を伺ってみて感じたことを無礼とは承知で申し上げますが、
恐らく先の説をなんの疑いも持たず過ごされてきたのではないかと思います。」
ここだけ抜き取ると、失礼なことを言われているように見えるかもしれませんが、他にいろいろあっての流れなので、それは全然かまわないとして、ある論に対して自分の中で合点がいってしまっている以上、それについて疑問を持つことはなかなか難しいです。
また、その論が間違いであることを証明するためには、それ相応の検証をせねばならないわけで、検証なくして議論は解決出ません。
その検証ができなかったのも、お互いが消化不良で終わってしまった一因でしょう。
ところで「先人の論に対する疑問」という切り口で考えると、オプトメトリー的視機能分析に関して言えば、よく持ち出される「モーガンの標準値」は、1944年に発表されたものです。
その数値を、現代の日本人に、そのまま当てはめてよいのかと考えると、それについては疑問があります。
恐らく、70年以上経っても大きなズレはないのでは、と思うものの、その疑問を払しょくするためには、今の時点でのデータどりをしていく必要があるわけです。
どなたか、やってくださるとよいのですが。
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