キベベワールド

「メガネの一心堂」の店長が、タメになること・ならないことをつづります

黒板を写す

先日、実家で小中学校時代の教科書を漁っていた時に、ふと感じたこと。

私が中学2年の時、社会科の内容は「歴史」でした。
3学期が始まって間もなく、「スピードアッププリント」というのが配られました。

このままのペースでは、やるべきことが終わらないための措置のようですが、プリントの内容というのが、これまでなら先生が黒板に書いているはずのことでした。
つまり、先生が黒板に書く→生徒がそれをノートに写す、というサイクルをなくすことで授業のペースを速めるわけです。

学校の授業というと、先生が黒板に書かれたものをノートに写すという作業が、必ずついて回るものでした。
(大学では、黒板に書かずにしゃべるだけの講義がほとんどだった気がします。)

なので、パシフィック大学で、講義資料があらかじめ配布される講義が多かったのは、とても斬新に映りました。

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英語力のハンデがある分、黒板を写さなくて良ければ、それだけ聞くことに集中できますし、要点はまとめられたものが手元にありますから、自分が聞き逃したことなどを他の学生がノートしているものを見せてもらったりすることで、かなり補完できたわけです。(講義を録音したりもしましたが)

企業のプレゼンやらなんやらでも、基本的には資料が配られて、それをもとに話が進みます。

では、なぜ多くの学校では、今も昔も「黒板を写す」作業が授業の基本になっているのでしょうか?
もちろん、黒板を使うことを否定しているわけではありません。
けれども、科目とか授業の内容によっては、わざわざ黒板に書かずに資料を配ったほうが早いことも多いのではないかと思うのですが。
また昔の私のように黒板をノートに写すことが「授業を聞いている」というふうに勘違いしてしまい、先生がしゃべっただけで黒板に書かれていない(けれど大事な)ことはノートに書かない習慣が付き、黒板を使わない授業では太刀打ちできなくなる、という事態が起こらないとも限りません。


私は教職を持っていませんので素人考えですが、あえて黒板を写させる理由としては、

・大事なことはノートを取るという習慣づけ(まずは、書かれてあることを写すことから)
・書くことで内容を覚えさせる
・授業に参加させる(資料があるのなら、ボケーっとしていても済んでしまう)
・書く時間がなければ、授業の進行が早くなり、ついていけない子供が出てくる
・資料印刷の費用がかからない

その他いろいろあるのだと思います。

ただですね、視機能や視覚面に弱さがあったりすると、「黒板に書かれたものをノートに写す」という作業がものすごく負担になってしまうことがあるわけです。
まだ書き終わっていないのに消されてしまう、書くのに精いっぱいで授業が聞けていない、書いたものが間違っている・読めない、等々、これでは何の意味もありません。

このような子供に対して、どのように対応していけばよいのでしょうか。
「体育が苦手な子でも、体育の授業は受けなければいけないのだから、書くのが苦手でも頑張って克服しなければいけない」という理屈は、あまりにも無策に過ぎると思います。
黒板を写すのが苦手な子には別途プリントを渡すという方法はあるでしょうが、それを用意するために先生の負担が増えてしまうとか、「特別扱いしている」といったヤッカミがあったりとか、ことは単純ではないのかもしれません。

発達障害に関する理解、教育支援が、少しずつ進み始めている昨今、授業のやりかたというものが、これからますます問われてくるように感じます。
大人数のクラスで果たしてよいのか、教員の数を減らして平気なのか、そういったことまで絡んでくる問題とは思いますが、「勉強したくても、つまずいてしまう子供たち」にとって、少しでも学びやすい環境ができることを願っています。


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  1. 2015/06/14(日) 23:15:49|
  2. 視機能・視覚・検査など
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