キベベワールド

「メガネの一心堂」の店長が、タメになること・ならないことをつづります

書いて理解・聞いて理解

調べものがあって、眼鏡学校時代のノートを開きながら感じたことを少々。


私の場合、小・中・高の12年間、授業の受けかたとしては、黒板に書かれたことをノートに写すという作業がメインでした。

そういうスタイルに慣れてしまっていたので、大学の講義で黒板を使うことが少なくなると、必然的に講義ノートというのが非常に薄っぺらくなりました。

試験勉強は、テキストを読んだり、過去問で対策を練ったり、というのがほとんどで、基本的に「理解する」というよりも「暗記する」という作業に終始したように思います。


社会人生活を経て再び学生に戻り、アメリカ育ちの津本O.D.の講義を受けました。
津本O.D.は黒板を使わずに、90分ほとんどしゃべりっぱなしです。
最初の講義のとき、私はほとんどペンを走らせることがありませんでした。
ただ「聞いていた」のです。

2度目の講義の始まる直前、「前回はどんな話だったっけ」と考えたとき、話の内容を全然覚えていないことに気がつきました。

板書事項はほとんどないし、テキストはあっても、それに沿った話をされたわけではないので、前回の講義を振り返るすべがありません。

恥ずかしながら、26歳にして初めて、これまでの自分の講義の受け方が間違っていたことを認識しました。
「大切なのは、黒板に書かれたことを写すことではなく、聞いたことを理解することである」と。

以後、津本O.D.の講義のときは、話に集中し、極力書き止めるようにしました。

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ただ書きとるのなら、特技の速記になってしまいますから、聞きながら理解をするという行程を踏まないと意味がありません。

理解しようとしながら話を聞くと、話の中でわかりにくい点・疑問点が出てきますので、講義が終わった時点で質問をしに行く、というのがルーティンになりました。

関O.D.の講義は、要点をまとめたOHPを映しながらの講義でしたので、OHPを写しつつ、話を書き止める必要があったので、体力を要しました。

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正直、こんなのは当たり前のことなわけですが、講義を「聞く」のではなく「理解する」という意識が身についたのは非常にありがたかったです。


パシフィック大学での講義は、パワーポイントを利用するドクターが多く、スライドを資料として配布されるケースがほとんどでしたが、そのスライド(配布資料)も、キーワードのみ羅列のドクターや、

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ポイントを細かく記載するドクターがいましたし、

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パソコンは苦手だからとパワーポイントはおろか、板書も資料も何もなく、しゃべり続けるドクターもいました。

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いずれの場合も、自分のリスニング力では不十分なところがあり、綺麗にノートを取っている学生にノートを貸してもらって復習した上で、ドクターに質問に行くことが常でした。

その時に感じたのは、細かくノートを取っている学生が少ないなということでした。

語学学校の講師から「日本人はノートに書いて覚える。アメリカ人は聞いて覚える」といったようなことを聞きましたが、こういうことなのかなと変に納得したりもしました。


とりとめがなくなってきましたが、日本の学校教育は、黒板に書かれたことをノートに写すことが児童・生徒の目的となってしまっているようにも感じます。
つまり、大事なことは黒板に書いてくれる、という意識が常に根底にあるという。

そうすると、大事なことを聞き取るのが上手にならないような気もします。
かつての私がそうだったように。

ポイントをつかむ能力が培われていないと、話を聞いた後で「質問は?」と聞かれても「さぁ・・・」となりがちではないでしょうか。


英語のリスニングの講義で、数分程度の文章を聞きながらポイントをメモし、あとで質問に答える、というのがありました。

そんな感じで、要点を黒板に書いてもらわなくても自ら聞き取るという訓練も必要なのではないかと、ふと感じたのでありました。


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  1. 2012/07/25(水) 22:54:27|
  2. どうでもいい日常
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